写真記録集「令和元年国宝仁科神明宮 式年遷宮」

 

昨年は、大町が誇る国宝仁科神明宮の、20年に一度の式年遷宮の年でした。
私たちは「仁科神明宮記録集編集委員会」に加えてもらい、昨年5月から造営工事や様々な神事を記録してきました。

(造営工事の様子をまとめたショートムービーはこちら)

取材をして、伝統建築のおもしろさや、技術が伝える知恵の深さを知りました。檜皮葺きに使う檜の皮は、上手に剥けばまた再生し、20年後にはまた使えること。貴重な檜皮を無駄なく使う知恵。野地板への止め方。本殿の屋根の修復をした田中社寺の方が、森も人も育てて、初めて受け継がれる技術だとおっしゃっていたのが印象的でした。
20年に一度というのは、世代交代をしつつ、人から人へ伝統や技術を伝えていくことのできるスパンなのだろうと思います。伝統建築の修繕では、前回携わった職人さんが、次を育てている。その前を知っている方もまだご存命でアドバイスをしていたりする。20年に一度ですから、今回若手で伝統技術を教わった人は、次は自分が中心にならざるを得ません。一生懸命覚えるでしょう。これが10年に一度であれば、もっと甘えが通用してしまうような気がします。

国宝である本殿・釣屋・中門については国の補助があるけれど、それ以外は地元負担で工事が行われてきたことも今回初めて知りました。「地元」といっても、本当に宮本の氏子が主な担い手となって遷宮をするのは、戦後になってからです。創建当時は仁科氏が手厚く奉仕をしていましたし、仁科氏滅亡後は松本藩の庇護がありました。また、仁科六十六郷の惣社として信仰を集めていましたから、明治以降も北安曇郡全体で遷宮祭を支えてきたのです。仁科神明宮の県社格上を要望する明治26年の嘆願書には、北安曇郡中の村々の名が連ねられています。今は政教分離で、行政が神社に助成することはできませんが、地域の大切な財産として、もっと広域で考え、守っていく必要がありそうです。
広域で仁科神明宮を支えていた時代の名残でしょうか、11月の奉祝祭では近隣神社の神楽も奉納されました。それぞれに特徴がある村々の神楽の競演は、見応えがあって素晴らしいものでしたし、20年に一度の晴れ舞台に演じる側も誇らしげでした。

今回ぐるったネットワークも携わらせていただいて、この式年遷宮を記録集に残せたことを嬉しく思います。写真記録集「令和元年国宝仁科神明宮 式年遷宮」では、前半は深みのあるモノクロで式年正遷宮祭の様子が写真で紹介され、後半にカラー写真をふんだんに使いながら式年遷宮や造営工事の紹介、歴史や地域の信仰などの解説をしています。是非、お手に取ってご覧ください。
地元の方は塩原書店でも購入することができるほか、amazonでの取り扱いも始まっています。

 

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